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  本の紹介

 五来 重: 熊野詣 三山信仰と文化

          2004年 講談社学術文庫 200頁

 (本の構成)

 はじめに

 第1
  紀路と伊勢路と
  死者の国の烏
   補堕落渡海
  一遍聖絵
 第
2
  小栗街道
  熊野別当
  熊野御幸
 第3
  音無川
  速玉の神
  那智のお山
 あとがき

(書評)
 著者は仏教民俗学の権威であり、本書を熊野三山と参詣道の歴史と文化についての一般向け手引として書いている。読み始めると、漢字の専門用語がやや多く、読み飛ばすといった読み方はできないが、じっくりと腰を落ち着けて味わいながら読むと、著者の熊野信仰についての深い学識に驚嘆するとともに、熊野の歴史と文化に触れることができたという実感が得られる。

 著者は、1993年に既に他界されているが、本書は1967年に他社から出版された著者の「熊野詣」を底本として、新たな図版等を採り入れて再出版された。これには、最近「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されるという背景があるからに違いない。しかし、ひるがえってみると、旧版の「熊野詣」も、熊野三山と参詣道について一般向けに書かれた総合的な手引書であるので、この書が世界遺産登録のための運動の知的財産になったであろうことが想像される。

 熊野地方は紀伊半島の南端近く、近畿地方から見れば紀伊山地の彼方にあるにもかかわらず、中世以前から熊野三山という名だたる霊場が存在し、幾多の庶民、貴族や上皇などが遠路、辛苦をいとわず参詣した。なぜ熊野にそのような霊場が存在し、信仰を集めたかということに対し、筆者を含めて多くの方が何故なのかという疑問を持たれるかと思う。

 著者は、本書の「はじめに」の冒頭で、「熊野は謎の国、神秘の国である」と述べ、読者の持つ疑問を理解し、それに答えようとしている。 

 第1章では、まず、熊野三山に到る三重県側からの伊勢路と和歌山県側からの紀伊路の地理的、歴史的特徴を自らたどりながら解説している。また、熊野は、まず「日本書紀」の神話の中でイザナミノミコトが死んで葬られた場所として登場している。そして、現在の日本人が考えもしない古代日本人の死生観や葬送のあり方が、熊野に残された地名などの痕跡や、烏(カラス)とのかかわりの中で述べられている。

 第2章では、熊野信仰の歴史と文化が具体的な例を挙げて語られている。すなわち、紀伊路を舞台とする小栗判官と照手姫のロマンスを描く浄瑠璃によって庶民に熊野信仰、浄土信仰が伝えられたこと、源平の壇の浦合戦に重要な役割を果たした熊野水軍を支配した湛増などの熊野別当が熊野三山も支配していたこと、さらに、後鳥羽上皇の熊野御幸に従い、先導役を務めた歌人藤原定家の日記から熊野詣の大変さなどが興味深く語られている。

 第3章では、本宮、速玉、那智の熊野三山について、祭られている神仏や歴史的文化的な側面が興味深く述べられている。

 本書を読み通すと、熊野信仰と、その歴史と文化についての詳細な解説によって、目からうろこが取れるように、「熊野」に対して抱く様々な疑問が解かれる。そして、本書を読んだ後、苔むした石畳の熊野古道を歩く時に、また、2007年2月に尾鷲湾を見下ろす高台にオープンした「熊野古道センター を訪ねた時に、本書に書かれた様々な熊野の歴史と文化が思い起こされることであろう。(2007.3.18/M.M.)


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